年度別 2006 2005 2004 2003 2002 2001
2000 1999 1998 1997 1996 1995 1994

活動分類別 大阪 関西 福祉 芸能 サロン 食文化 実学 恒例 ツアー


 『大阪の犯罪傾向と少年犯罪
■ 開催日・会場  2005年 11月17日(木)  エル大阪
■企画・製作 原田彰子
■講師 弁護士 大川哲次氏(塾生) 弁護士 井垣康弘氏 保護司 池崎宗男氏(塾生)
■概要  
会場風景
大阪の犯罪傾向と少年犯罪  弁護士・大川哲次氏

 奈良少年刑務所など6つの矯正施設で篤志面接委員をされている大川哲次弁護士は、まず、篤志面接委員制度について説明。
 
◆篤志面接委員とは

 全国の矯正施設(刑務所,少年院,婦人補導院等)では、受刑者や少年院在院者の更生と社会復帰を目的にいろいろな教育が行われている。 公務員である矯正職員の力だけでは諸問題への十分な対応がむずかしく、専門的知識や経験をもつ民間人に協力をお願いしている。これが篤志面接委員制度。

  私は、30年にわたって委員をしており、刑務所など1ヶ月に5,6ヶ所をまわって、受刑者や少年院に収容されている少年たちの相談にのっている(特に法律問題)。教養や趣味に関する指導をする委員や宗教的指導をする教誨師(きょうかいし)と呼ばれる指導員もいる。

 約3人に2人が、満期前に仮釈放されるので、社会での再犯防止教育も必要とされ、保護司の役割も重要である。」

◆大阪の犯罪傾向

 大阪府警本部から取り寄せた29ページにわたる資料をもとに、大阪の犯罪傾向を説明。詳しくは先生から提出されたレジュメ・資料をご覧ください。(レジュメ 資料1-1 資料1-2 資料2 資料3 資料4 すべてPDFです)

 大阪の刑法犯の発生件数は、全国の約1割を占め、犯罪率は全国でトップ。殺人、強盗、強姦などの凶悪犯罪が増加している。また、大阪は街頭犯罪が多く、ひったくりは29年連続、オートバイ盗は22年連続、車上ねらいは12年連続の全国トップとなっている。

 手口別、時間別、犯行形態別発生状況などについても詳しく説明をされました。歩いていて肩にかけたバッグなどをひったくられるのは若い女性が多い。大阪のおばさんは追いかけるが若い女性は追いかけないからか? 自転車の前カゴからのひったくり被害も多い。後ろから単車が来たら要注意。乗り物盗(自動車・オートバイ・自転車)は、午後6時台をピークに午後5時台から7時台に多発。

◆大阪の少年非行の現状

 平成16年の刑法犯少年の割合は、東京についで全国で2番目。成人を含めた刑法犯総検挙・補導人員の34.4%を少年が占めている。非行の中心は中学生で42.0%。次いで高校生の28.5%、無職少年の10.3%となっている。少年による街頭犯罪(ひったくりや路上強盗、オートバイ盗など)が多発している。少年による凶悪犯罪も増加。

◆被害を受ける少年・少女

 一方、少年・少女が被害を受ける犯罪も深刻。最近、少年の福祉を害する犯罪として顕著なのが「出会い系サイト」を利用したために、売春や覚せい剤密売を強要されるケース。被害少年の73.6%を女子が占めている。性犯罪、児童虐待も深刻。

◆少年少女を加害者や被害者にさせないために

 家庭内での親子のコミュニケーションを密に。親の態度 (資料3、地域ぐるみでの安全活動が必要。

質問コーナー

Q:「なぜ、大阪は少年犯罪が多いのか?」(菊地冴さん 写真)

A:大川弁護士

1. 大阪のおばちゃんの油断(私は大丈夫と思う気持ち)。
2. 不法駐車・駐輪が多いことからも分かるように、大阪人は法遵守気持ちが弱い。
3. ひったくりは加害者の犯罪意識も無く、軽いノリでできるお手軽行為である。
  @ お金に困ったらすぐできる。
  A 少年グループの競い合い。
4. 大阪の街の構造
  @ 大阪の街は平坦で犯行によく使われる自転車を動かしやすい。また、通りから横道に一歩入ると入り組んでいて自転車で逃げやすい。
  A 横道は街灯も少なく暗がりが多い。
5.町内のコミュニティー意識が薄れ、お互いがとなり近所のことに無関心になっている(不審者がいても意識しない)。


以上のような理由が考えられます。

保護司について   保護司・池崎宗男氏


 池崎さんは八尾市で造園業を営みながら保護司の仕事を4年間続けており、保護司について詳しく説明をされました。(詳細はこちらです

◆ どうして保護司になったのか

 「平成6年に、子どもが通う小学校のPTA会長を引き受け、地域の皆さんから保護司に推薦されました。ただ一人自分を選んでくれた事に対する感謝と、断ってしまえばただそれだけの人間になるような気持ちになり、引き受けました。

  会長を引き受けた事で、自分の住む地域に目が行くようになりました。電柱や公園のフェンスに看板や不動産のパンフレットなどがくくりつけてあり、あまりの汚さにビックリ。

  それからは自分に出来ることで地域に貢献したいと、毎晩11時前後(恥ずかしいので夜遅く行動)に、自転車で地域を回り、チラシや看板をを取り払いました。そして3年目に気づいた事がありました。

◆迷惑行為の少年たちを大声で叱る

  夜の11時ごろになると、公園の明るい場所には中学生らしき又は高校生らしき若者が集り、公園の遊具をがんがん鳴らしたり、大声で騒いでいたりしていたのを見かけるようになり、注意するのが日課となりました。

  一度17,8人の若者が夜の12時を過ぎても打ち上げ花火などで騒いでいたので、一人でしたが思いっきり怒鳴りながら叱りました。ちょっと向こうがひるんだのを確認してから、大声で注意(大声を出し続ける事が大事)すると、「すみませんでした」と謝る者がいて花火をやめたのです。それ以後グループを見かけると、必ず少年たちから挨拶をうけるようになりました。

◆ ことばをかけ、相手の気勢を削ぐことが肝心

 今も公園やコンビニの前でグループを見かけると、必ず中に入って行き言葉を交わします。言葉をかける事で盛り上がろうとしているのを、おっちゃんが来たことで盛り下がる、あるいはちょっと引く事となり、普通の精神状態になって不正なことが出来ないような効果が有るのではと思って話しかけています。しかし長年夜回りをしていて、この少年たちに声を掛けている人を一度も見掛けた事が有りませんでした。

◆役に立てるうちが花

  そうこうしている時に保護司を勧められたのですが、保護司をしませんかと言って貰える時が花だと、保護司がどういう事なのか解らずに引き受けてしまったのが始まりです。

犯罪を犯した少年を更正させるには (神戸事件とリンチ傷害致死事件を通して) 弁護士・井垣康弘氏


  井垣康弘先生は、38年間裁判所判事を勤められ、この4月に退職されました。最後の8年間は、神戸家庭裁判所に勤務され、97年10月には、神戸須磨連続児童児童殺傷事件の少年に対し、医療少年院送致とする保護処分を言い渡されました。その後も、少年の更正指導に携わり、少年は、昨年23才で社会復帰しました。
 先生は、喉頭がんを患い、人工声帯を手で押さえながら、神戸事件の少年Aの更正と社会復帰までの経過とリンチ傷害致死事件(藤原正仁くん事件)について40分にわたりお話してくださいました。

◆神戸事件

 14歳の時に事件を起こした少年Aは、22歳前に医療少年院を仮退院、去年23才で卒院しサポーター(弁護士、保護司、保護監察官、その他の先生たち)に支えられながら社会復帰をしている。

  ・少年Aの更正経過
  男性は、少年院に送られてきた当時は、「殺してほしい」「死刑になると思っていた」「国が死刑にしないのなら、静かなところで一人で死にたい」と言い続けていた。医療院に移ってから面会に行っても「顔も見たくない!」と拒絶された。調査官、弁護士、少年院の先生たちも口々に「子どもだから生きていける」と励ましたが、彼にとっては迷惑な話で、理解できず憤りで一杯だったようだ。

 その後、家族のようなチームを作り、父、母、兄、姉、祖父役の人たちが温かく彼に接した。その結果、言動にに変化が現れ、顔つきも穏やかになり会話もはずむようになった。
  1年後は、「もし生きていけるなら無人島で一人で暮らしたい」と。
  2年後には、「人間がいる所でもいい。少しの人間なら。信用できる人なら」と言うようになった。18歳になったときは、原因とされた性的サディズムは解消され普通の少年のようになっていた。教育的効果は明らかだった。

 ・遺族への説明と納得 そしてこらから
  被害者の遺族には担当者が何回も会って少年(退院時は男性)の更正状況を説明した。遺族側は、説明を受けて「真人間になるなら」と退院に納得してくれた。
  少年Aは、8年かかって再犯の心配のない人間となった。社会に戻った彼は、これから何十年も罪を背負って生きることになる。どういう人生を歩むのか、彼のこれからの人生が問われている。罪を償い、社会に役立つ人間になってほしいし、私も役に立つことがあれば何でも協力したい。


◆リンチ傷害致死事件(藤原正仁くん事件)

 19歳の少年が、17歳の少年と彼の仲間にリンチされ殺された。被害にあった少年は、窃盗などで少年院に入っていたが、院内で仕事の資格もとり更正して退院し、バイトをしながら就職先を探していた矢先のことだった。一方、加害少年は傷害事件を起こし保護観察期間中であった。この事件を通して、井垣先生は、加害少年の更正にとって、被害者遺族とのコミュニケーションがいかに有効かについて話されました。詳細は資料をごらんください。(少年が遺族に宛てた手紙  産経新聞記事

 ・被害者の父親と加害少年が対面 「線香をあげに来い」と
 被害者の父親が、加害少年に対する審判廷で少年に会うことを希望した。法廷で、父親は、「心から反省ができたなら線香をあげに来い」と少年に声を掛けた。その言葉をきっかけに、その後、少年は少年院から11通の手紙を被害者の父親に送った。仮退院した時は、その足で被害者宅を訪れ線香をあげさせてもらった。

 ・償うということ
  被害者側と少年側で示談が成立し、少年側は何十年もかけて自分で働いて1000万円程度の償いのお金を支払い、時々お線香をあげに行くことになった。一生かけての償いだ。

対話を通しての遺族と加害少年との関係修復
  このように被害者側に十分に説明し、被害者側と加害者とのコミュニケーションを成立させ、促進し、両者の関係を修復することで加害少年の更正を図ることが望ましい。遺族は、「なぜ、わが子が殺されたのか」の真実を一番知りたい。加害者から直接聞いて真実を知ることが結局は、遺族にとっても癒しとなる。

生きていくことを許されるということ
 イギリスで無期懲役となった少年が18歳で釈放され大学へ進学したケースがあった。 このケースでは「洗脳」という手段が採られた。犯罪を犯したAという少年が、「Aであったことを忘れてBとして生きろ」と徹底的に洗脳された。少年Aはこの世から抹殺されて少年Bとして生まれ変わることで、社会復帰が許された。
 遺族と加害者との関係修復をもって加害者を社会に戻そうとする日本のシステムとイギリスの洗脳・抹殺的システムでは、日本のシステムのほうがはるかに優れている。生きていくことを被害者の遺族に許されるということこそが、社会からも緩やかに許されるということであるから。

井垣先生関連資料  

文責 山本 ゆき


参加して
山本ゆき
 

 神戸事件の判事を担当され、少年の更正・社会復帰に多大な尽力をされた井垣先生が、1文化サークルの小さなイベントでお話しくださったことに深く感謝いたします。心を揺り動かされることが多かったし、会場からもすすり泣きが漏れていました。

 まず、私は、こんなに大切なテーマなのに何も勉強しないで受講したことを猛省しています。2004年3月に、神戸事件を起こした少年の仮退院が決まったとき、法務省が少年事件では初めて仮退院の事実や理由の公表に踏み切りましたが、その背後には、井垣先生たちのプライバシー保護の壁や遺族と加害者は会わせるべきではないという先入観や慣例との厚い壁があったと今、理解しています。

 「加害者と会って真実を知ることが、結局は、遺族にとっても癒しとなる」 ーー 井垣先生の信念とも思えるこのことばが心に響いています。遺族に許してもらうことが、加害少年を更正させる大切な要素であることはわかりますが、それは井垣先生たちがなさった気の遠くなるような親身な努力の積み重ねでしか実らないと思いました。

  私たちは、「徹底的な情報公開を」と簡単に口にしますが、そんなに容易な事でもないこともわかりました。それでも慣例を破り、法務省に一定の情報を公開させ、社会の無用の不安を取り除いた功績は大きいと思います。

 「遺族が加害者を許せる気持ちになれるときとはどういうときなのか」と考えてみました。例えば遺族が親ならば、加害少年が、殺された自分の子どもの苦しみ、突然に切断された人生、切断された家族や友人たちとの絆などを理解し、その子の気持ちになって償いの気持ちを片時も忘れずに生きていくと決意できたときでしょうか。遺族と加害少年の関係を修復させる根底にあるものは人間に対する愛だと思いました。

 イギリスのような洗脳型人生リセット法は、凶悪犯罪の増加を助長すると思います。人は自分の過去を御破算にはできません。過去の清算は苦しくても自分が過去の事実と向き合ってするしかないと思います。


 熟塾にとっては初めての社会的テーマの講座ということで、100名収容の会場に40名程度しか参加者を集めることができませんでした。それでも一人一人が深く考えさせらる心に残る講座だったと思います。三人の講師の先生方、ありがとうございました。そして、2度も広告を出してくださった朝日新聞のご協力にも感謝いたします。


朝日新聞に2度にわたり掲載していただきました

トップページへ 活動一覧2005年へ