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『竹本住大夫師の文化功労者顕彰を祝う会』に出席
2006年2月5日

2006年2月5日(日)午後4時から、大阪上本町の都ホテル「浪花の間」で、『竹本住大夫師の文化功労者顕彰を祝う会』が開かれた。

熟塾宛にも招待状を頂戴したので、塾生で上方芸能通の船場の三代目の三男坊の北原祥三さんと、文楽友の会の会員で文楽ファンの東口恵子さんと共に参加させていただいた。

午後4時から、NHKの芸能花舞台などの司会を務める葛西聖司氏の開会挨拶で進行が進み、祝辞には前財務大臣 塩川正十郎氏が筆頭に、行政改革担当大臣 中馬弘毅氏、文化庁長官 河合隼雄氏、大阪府知事 太田房江氏、大阪市長 関淳一氏、関西経済連合会会長 秋山喜久 氏、大阪商工会議所会頭 野村明雄氏と要人の挨拶が続いた。

更に、日本芸術院院長 三浦朱門氏のメッセージを東京から駆けつけた常磐津英寿氏が代読。

道明寺山主 六條照端氏が記念品授与され、住大夫師匠のお礼の言葉。「いくつになっても表彰してもらうのは嬉しい。これも長年支えていただいたお客様、家族、特に長年連れ添ってくれた妻のお陰。女房にはほんまに頭があがりまへん。」と傍の夫人へ思いやりの笑顔。

続いて、舞台では“祝演”開幕。花競四季寿“より“漫才”を、浄瑠璃を竹本千歳大夫、豊竹呂勢大夫が、三味線に 野澤錦糸 鶴澤清二郎 鶴澤清旭、人形では大夫を吉田和生・才蔵を桐竹勘十郎が演じ、更に北新地 日の春三番叟を 西川梅十三さんの舞踊が飾った。

会場に詰め掛けた文楽関係者が舞台に勢ぞろい、奈良豊澤酒造から寄贈された樽酒で鏡開き。

文楽協会理事長 上山善紀氏により乾杯の音頭によって祝宴が、始まった。

メインテーブルには、人間国宝の桂米朝氏 茂山千之上氏らが陣取り、京都から井上八千代さんが、花束贈呈に女優の竹下景子さんの姿もあり交友関係の広さを感じた。

歓談時間の合間をぬって、住大夫ご夫妻と共に「おめでとうございます!熟塾でございます。」と出席した北原氏・東口さんと共に記念写真。

6時半頃まで賑やかに祝宴は続き、住大夫ご夫妻の立礼でお見送りを受けた。

住大夫師匠と熟塾

熟塾では文楽に関しては、1997年から文楽鑑賞と技芸員ら舞台を支える人々からお話し聞く会を行っている。若手から人間国宝までと、2002年1月に「人間国宝 竹本住大夫氏と出会う新春文楽鑑賞会」では1時間ほどお話を拝聴してから舞台を拝見した。40名足らずで聞くだけではもったいないので、講義録をとって、私が同人の一人でもある「大阪春秋」に寄稿。当日は、参加者40名は人間国宝と向かい会うと最初は緊張していたが、住大夫師匠のはんなりとした大阪弁が空気を入れ替えた。心地良い大阪弁」なのである。

テープに録音した内容を一字一句聞き漏らさないように聞いた通りの大阪弁で文章に書き上げた。内容については販売数は少なくても「大阪春秋」として本屋の店頭に並ぶ本である。「すいませんが、プロではないので、内容を確認してください」と住大夫師匠にお願いした。東京公演に行くまでにと締め切り前に赤ペンの入った原稿を拝受した。「人間国宝に添削していただいた」。大阪をおたちになる前、風邪気味で熱があるとおっしゃっていたが、東京で体調を崩され虎ノ門大学に入院されたとお聞きし花かごをお見舞いに差し入れた。その後は体調も回復され活躍され、今回の文化功労賞の受賞となった。その原稿は 大阪春秋 106号 「情を語る 人間国宝竹本住大夫氏議事録」に掲載させていただいた。

三浦朱門氏に文楽説法

後日談だが、熟塾は「全国生涯学習ネットワーク」に加入しているが、東京で会合があるので出かけていき、三浦朱門氏の講演があった。楽屋で大阪からの参加だと三浦朱門氏に主宰者の方から紹介いただいた。「私たちは、大阪の文化を学んでおり、大阪が世界に誇る文楽の大夫で人間国宝の住大夫氏のお話を聞いた」ので、私自身同人である「大阪春秋」という雑誌に議事録を纏めましたと、その冊子を手渡した。三浦朱門氏は、紙面に目を通し「そうですか。天皇陛下が文楽を鑑賞される際にご案内しましたよ」とのコメント。憲法十七条から1400年目だからと四天王寺の瀧堂尊教前官長の前で十七条憲法を読み上げた時と同様の原田の“釈迦に説法”。三浦氏のお名刺を頂戴したら、住所には田園調布の地名。

舞台に登場されたお姿を改めて拝見すると、三浦朱門氏は背筋が見事なまでにピンと伸び70代後半ながら、凛とした磨き上げたダンディズムのオーラーに輝いていた。

講義の中に、今日この会場に来るまでに駅の近くの店で、トンカツを食べたが、調理場がよく見えて下準備にたっぷりとニンニクを使っていた。ニンニクが日本に入ったきたばかりの時は、違和感を持っていた日本人も、新しいものを受け入れ自分のものにしていく文化があるという例えの導入話だったが、私は別の思いに駆られていた・・・。

三浦朱門氏が駅前のトンカツ屋さんにいる・・・・大阪にはいない・・・・こういう文化人が当たり前のようにトンカツ屋に居る町が「東京」なのだと、改めてなんでも「東京一極集中」なのだと考えさせられた。

“情がある”素顔の大阪弁

 そして、2002年10月1日には、熟塾10周年記念イベント「夢からはじまる 船場の夢 大阪の夢」で、船場の夢で住大夫氏に登壇いただき、中央公会堂の大ホールで大阪への思いを語っていただいた。丁稚さんにお茶とお菓子をだしてもらい椅子に腰掛けちょっと話をしてもらうという趣向だった。

話が始まると会場が静まり返った。住大夫師匠のはんなりした大阪弁をむさぼるように耳傾けている800名の観衆の空気が、舞台袖に控えている私たちのところにもまで圧倒的な空気として伝わってくる。咳払いする人もいない。俺の話を聞けというのではなく、人の気を自然に引きつけるオーラーが発しられていた。

私が出演の依頼の為に、文楽劇場の楽屋を訪ねたときに、「話をしたらええんやなぁ」「はい」「他には」「すいません。住大夫師匠の大阪締めでお開きにしたいので」とお願いすると「わかった」と一言。こんな雀の頼みも快く引き受けていただき、ほんまにありがたいことでと、“雀”は嬉しくて“ひばり”のように舞い上がった。

10周年のイベントを観ていただいた方からは「昔こんなご隠居さんがいたはったなぁ」と大阪弁のぬくもりと上品さにほっこりした、「大阪の文楽劇場は寂しい」と聞き、翌月初めて文楽を観に行ったという人もいた。文楽を観たことがない人を、劇場に呼び込んだのだ。情を語る。情を込めた講演内容は、文楽の舞台では聞けない、素顔そのままでの言葉にも“情”が込められ、人が動かされました。まじかに、芸を通して磨き上げた人間国宝の人徳の輝きを見た思いでした。

じゃじゃ馬、頭を垂れる

昨年の1月文楽鑑賞の会を開き、第二部からの鑑賞のまく間、ロビーにある売店で買い物したいからと受付にことわって、走りこむと人気のないロビーの売店の前に一つ人影があった。住大夫師匠だと気がつき、「住大夫師匠、あけましておめでとうございます。」と声をかけさせていただくと、振替って私の顔を望みこみ、「あんたえらいなぁ」と声をかけていただいた。

「いえ、師匠のお陰さまです。」と頭を下げると、「文楽だけやのうて、大阪のこと、いろいろ頑張っててなぁ・・・あんた、えらいなぁ」とのお言葉。

普通の人に言われたら、「いえいえ、そんな事ありません!」と天邪鬼の私は頭を振るのに、住大夫師匠に声をかけていただくと、私の中の天邪鬼の魔力が失せた。私は心から住大夫師匠のことを尊敬しているだろう。じゃじゃ馬が頭を垂れ従順になるように「はい、ありがとうございます」と動けなくなった。

 気心の知れた塾生仲間には、「住大夫師匠から、あんたえらいなぁと言うてもろてん。」と先生に褒められた子供のように嬉しげに語る。修行のように大阪の魅力を探し続けている活動の中で、なんでこんなにしんどい坂道を登っているだろうと疲れている時には、住大夫師匠の言葉をなぞってみる。熟塾の活動を支る杖のように、その言葉は心強い。

「子供がお母さんのことを語らなかったら誰が語るのか。日本人が日本のこと語らなかったら誰が語るのか。大阪のこと、大阪人が語らなかったら、誰が語り伝えるのか!」は私の持論だが、根っこには同様の血が流れているように思う。

勿論、住大夫師匠は大きな鳥で、志は同じでも翼の大きさも飛んでいる場所が違うが、熟塾は雀は雀なりに、大阪の空に羽を広げ低空飛行している。空を見上げると高いところを大きな鳥が見守ってくださっている。すれ違いざまに声をかけてくださったに過ぎないが、住大夫師匠の言霊は私の大切な宝物として活動の原動力になっている。

舞台の上で情を語る住大夫師匠の雄姿を拝見するにつけ、益々のご健勝を祈るばかりだ。そして、その思いは私だけではなく、多くの人々の心の支えとなっているのだろう。年月によって磨り減っていく人生ではなく、年月によって磨き上げられていく人生をまじかに拝見させていただいたことに感謝したい。

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