人間国宝 七代鶴澤寛治と出会う

講師:人間国宝 七代 鶴澤寛治 氏
日時:2001年1月6日(土) 11:00〜16:00
会場:国立文楽劇場

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音曲の司・文楽三味線は
     大夫と散歩する犬の歩み


 
浪曲では三味線は伴奏として弾かれますが、義太夫の三味線は絶対に伴奏ではございません。文楽の三味線では、雪が降ってきたなという情景や登場人物の心情や様子を描いてまいります。で、今こうしてお話ししていても、どこでやっているかわかりませんが、三味線弾きが、こつちのほうで他の曲を弾くとか、芝居小屋でやっているんだあなあという情景をお客様に感じていただけるように弾くのが三味線の役割でもございます。三味線と大夫が同じになりましたら面白うございません。例えて申しますと、大を連れて歩いておりますと、犬が主人の前をさっざさっさと、つくでなし、踏まれるでなし、上手いこと歩いているというのが、三味線弾きの上手な弾き方です。

 文楽では現在のお芝居のように、鳴り物や効果音はありませんので、三味線で、その場その場の情景が浮かぶように弾いてまいります。ですから、寺の鐘の音や大夫の読経に合わせて弾くモクギョウの音、破れ障子から風が入ってくる音、猿の泣き声や、鶏の泣き声を弾きます。
 義太夫三味線は、弾くと申します。叩き三味線の津軽三味線よりも、撥が厚いのは、撥の使い方によって様々な音を出すためです。
 舞台での三味線での決り事としましては、幕が開きましたら、初段では「そなえ」と申しまして、一番上の天を現す一の糸、地を現す三の糸、人を現す二の糸を弾き、天と地の間に居ります人間の物語を始めますと弾きま・す。場面が変わる時にも、家の中に場が変わった時「送り」で、家の外に場が変わった時にはr三重」で受けて弾くなど、場面、場面に沿って弾いております。
 義太夫三味線は重いので、三味線の胴の裏にゴムを貼っております。明治以前はなかったので、ラシャを貼っておりました。構える場合は、悼の上の方を持って構えました。長唄の三味線は、今では胴の裏にゴムを貼っておりますが、以前は貼っておりませんので、ツルツルとすべり易いので、竿の根元を持つ構えが基本になりました。
義太夫三味線は、二の腕と肩の間に竿がくるのが、行儀の良い三味線の構えだと子供の時に教えられてきました。
義太夫三味線は音曲の司だといわれました。音曲には、お能や義太夫、清元などがございますが、同席させていただきました時には、何も言わなくてもお能の方が一番上座にお座りになりなります。お能の方がお越しでないときには、清元の偉い方がお越しになりましても、私のようなヘボな三味線弾きでも文楽の格付けとして一番上座に堂々と座っておりました。

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雪景色に響く親父の音色

 情景を現しますのを、三味線で「色」と申します。「何とかと」ツンツンという三味線の手は同じなのですが例えぱ「誰それが怒られて座る」のを現す場合と、「誰それが怒って座る」のを現す場合では違います。大夫がどのように座ったかを言葉で表わさなくても、三味線のr色」で情景を表現し弾き分けられるようになると一人前の三味線弾きやと小さい頃から言われてきました。ですから、人が走る場合でも、女性が向こうから走ってくる場合と、鎧を着込んだ武士が走ってくる場合も異なってまいります。
 地歌でも使われますが、三味線では雪が降っている情景を現す「雪」の手がございます。子供の若い頃に、三味線の解説をする機会がございして、これが「雪」で、これが「雨」でと紹介致しましたら、その様子を見ていた親父が「おまえは嘘ばかり言いやがって」と注意致しますので、「そやかて、これが雪の手やからこれを弾きました。」と言いますと、親父は「そうやない。おまえの弾いているのは、三味線の手や。どれが雪でどれが雨やという言うのではなしに、たんに弾いただけで雪が降っている感じをお客様に伝えるのが、雪の手なんや。」と申しておりました。
 「雪」と言えば、親父は忠臣蔵の九段目の下りを死ぬまで勉強しておりました。毎日弾いてお」りましたので、親父が「おまえは、分かるか。出来たか。」と聞きますので、私は実は分かるどころではないのですがいい加減に「はい、出来ました。出来ました」と生返事をしますと、「ああ、そうか…。わしがこれを出来たというた時は、死ぬ時やで。」と申しておりました。
 忠臣蔵の九段目を親父から教えられました時に、「それは、雪の手でもなんでもない。山科の閑居に細かい雪がさっ一と降って、氷柱から水がポトポトと落ちた感じが音に出た時が、雪の手や」と申しておりましたが、私はその時そのような事を考えておりませんでした。それから後、巡業で旭川に行きました時に、前夜雪がチラチラと舞っておりましたが、朝起きて窓を見ましたら、一晩で雪景色でございました。札幌に行くために駅に参りましたら、雪は降りやまず凄く積っておりました。ホームで辺りを跳めておりましたら、向こうから黒い物が飛んで来るように見えました。何んだろうと見ておりますと、それが犬で、新雪の上を真っ直ぐ歩けないので飛んで進むほどの深い雪なんだなあと見ておりました。鉛色の雲が低くたれこめて雪が降り続く景色に見入っておりますと、親父の三味線の音色が聞こえてまいりました。「ああ。親父が言うてたんは、これか。」と気がつきました。帰りまして、その様子を親父に言うと、「解ったか、わしはそれがいいたかったんや。」と申しておりました。






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