人間国宝 七代鶴澤寛治と出会う

講師:人間国宝 七代 鶴澤寛治 氏
日時:2001年1月6日(土) 11:00〜16:00
会場:国立文楽劇場

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目分で会得しだ情景を弾く

 親父が言ってことが今頃になって困ったことだなあ感じることがございます。昭和28年頃にテープレコーダーが売り出されました。それまでのお稽古は、一度目は師匠が引き、二度目は一緒に、三度目は1人で弾いて終わりでした。そのお稽古を毎目続けておりました。テープレコーダーが売り出されたので、覚えるのに便利な物ができたと使いましたら、親父にひどく叱られました。
 テープレコーダーといっても、当時はオープンリニルで大きな機械でしたので、置いておくことができず、毎目弟子どうし交代で録音して練習しておりました。しかし、マイクが上手く入らないので何処に置こうかと相談して、二階の庇(ひさし)から吊るして録音しておりました。前日にお稽古したところは、テープで何度も聞いて覚えておりましたので皆上手く弾けま←たので、親父は「それでええ。それでええ」とご機嫌でしゃべっておりましたら、ふと軒先のマイクを見つけ「あれ、何がぶらさがってるんや」と言い出しました。弟子がみんな前に並ばされ「そういう心がけで、芸というものが、どうして覚えられるのか。芸は体で覚えるもんや」とひどく叱られました。「テープで覚えた芸は、水に浮かした氷と同じや。緕麗に見えるけど、稽古を積んだ芸やないから、本物やない。ころんと裏返ってすぐに溶けて消えてしまうんや。そういう考えやから、芸が上達せへんのや」と稽古なしで懇懇と怒られました。そして、師匠が集まられて「文楽もしまいや。テープレコーダーなどというものが出来てしもうたら、芸も終わりや。」と言われておりました。その時は「時代の流れや。そんな大袈裟に。何を言うたはるんやろう」と思っておりましたが、現在になりましたら、若い人は皆テーブで手数を覚えてきま
す。チンという一音が、どういう意味かということを、私らの時代は、何度も怒られながら覚えた一音が、テープで覚えましたら、大きく弾いているか、小さく弾いているかだけの達いになってしまいます。
私が福岡光義の段を、親父に稽古つけてもらいました。
親父が出だしを聞いただけで、「違うがな。やめとけ!」と大声で叱られるばかりで、それが4日も続き、お稽古が前へ進みません。親父の給仕をしながら、「なんで、弾けまへんのやろう」と聞きますと、「おまえ、分からんか。前のくだりは、福岡光義が、伊勢の遊郭を一杯飲んでええ気持ちでああ紅い灯がともっているなあと思いながら歩いているところで、次の手は、油屋の二階座敷でお客さんが散財したはる場面や。その弾きわけが出来てないないやないか。それだけのことやが、それを、わしがおまえに言うてしもたら、ああそうかと思ってただ弾くだけになってしまう。それでは、芸は自分のものにはなれへん。それを自分で会得せえへんかったら、どないして弾けるんや。」と言われました。
お稽古では、師匠に怒鳴られながら、行き詰まる度にそれをどうにか自分のカで乗り越えてこそ、身につき、三味線の音色が広がってくものでございます。

夫婦喧曄も音に出る、
   気持ちを映す三味線の音色


 そういえば、私も若い頃は何かと遊びに行きたい盛りで、そんな私に親父は「おまえの三味線を聞いてると、年がら年中、銭くれ、銭くれと言うてるように聞こえるで。」と言われ、若い頃は三味線が銭くれ、銭くれという道理がないと反発しておりました。ところが、親父が亡くなりまして、研修生を指導しておりましたら、アメリカから学位を取るために国立の養成所をたずねてきたアメリカ人がおりました。聴講生として研修生と一緒に板の上に何時間も座って、聴講していました。国立の養成所は卒業後に舞台に立つ人の練習場なので、お稽古をつけられません。
 国立の養成所の担当者か'ら、ただ聞いているだけでは可哀相なので、個人的に練習をつけてもらえないのでしょうかという相談を受けましたので、それやったら、東京の宿屋で稽古をつけてあげるのでということになりました。毎目練習をつけておりますとある日、「ああ、今目出掛けに奥さんと喧嘩せえへんかったか。それで、おまえ謝ったやろう」と言いますと「ええ、なんで解るのですか。女房が電話してきましたか」と驚くので、「そうやない。おまえの三味線を聞いていると、いつもと違う。なんや乱れているんで、喧嘩してきたなあ、でも、その中に弱いところがあるので、ああきっと謝ったんやなあと感じたんや。」と言うと、その通りだと言うておりました。ということで、三味線の音は、弾き手のその時、その時の気持ちを全部伝えるんですね。ですから、子供の時か「心正しく、正直な気持ち、優しい気持ちをもってなかったら、音にすぐ出るで」と言われつづけてきました。私は、アメリカ人にそういいながら、親父が若い頃の私に、おまえの三味線は銭くれ、銭くれと言っていると申したことを思い出しておりました。そういう意味では、三味線は恐いもので、自分の気持ちがすべて音に出るものなんです。

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先ず親孝行しなさい、
   性格を映す三味線の音色


 今研修生には「手数はいくらでも教えてあげられるが、その心は自分で修行せなあきまへん」と言うております。今はさせませんが、昔弟子入りしましたときに、冬でも水で拭き掃除をしました。これも、勉強なのです。浄瑠璃で「ああ、冷た」というのは一言ですが、その冷たさがどの位かというのを、三味線で表現します。その冷たさがどのようなのかは、自分で体験しないと、三味線で表現できません。ですから、賢台の前に座ってお稽古してもらうばかりが、お稽古ではありませんで、常日頃のすべての体験も勉強なのでのす。
 私は常々子供や若い人やには、「先ず優しい気持ちを持ちや。親孝行せなあかんで」と言うのです。親孝行と言っても、家を買うとか、物を買うとかではなく、親に心配をかけないよう、安心をさせたあげる二とが親孝行やというのです。そうしますと、心に余裕が出てきて、優雅な音が出てきます。喧喧している人が弾く三味線は、その人の性格が音に、出てきます。研修生も入りまして、初めから上手に弾くわけではありませんが、一人一人の三味線の音を聴いていると、「ちゃらんぱらんな性格やなあ」「気の小さな男やなあ」「この子はキカンキな男やなあ」と音に出てきます。ですから、その性格に合わせた指導をしていくわけです。三味線はデリケートで、自分の心が音に出てまいります。


肩のカを抜いて、
    思いやりの心を持って


 親父から厳しく三味線の指導を受けてきましたので、研修生にも同じように教えておりましたら、娘からおじいちゃんの教え方では、今の若い子がついてこなし、駄目だと懇々と意見され、考え方が古いのでどのように教えればええかと悩みました。 ちょうどそんなとき、奈良に移り住んだのですが、交通の便が悪いので、「50の手習いで」で車の免許をとりにいきました。初めは緊張していたのですが、教えてもらう先生が隣りに乗られまして「先ず、腰にぐっと力を入れて、肩の力を抜いて、そして思いやりの心を持って」といわれますと、「ああ、車の運転も三味線の弾き方と同じや」と気がつきました。

 思いやりを持ってといっても、「お先にどうぞ、どうぞ」と言って止まっていたら、後ろに車がつかえてくるんで、ハンドルを切る決断も必要です。人への思いやりというのは、車の運転であろうと、三味線であろうと、同じことやなあと思いました。初めは、びっくりするほどアクセル踏んで怒られたりしましたが、三味線と同じやと思ったら一回で通りました。

 私の場合、子供が二人とも娘だったので、三味線の後継者としては諦めておりましたが、孫が三味線を弾きたいといいますので、小学校5年生から稽古をつけてきました。今回、私の孫の寛太郎が13歳中学一年生で初舞台を踏ませていただきます。松竹時代は、子供の唄から入っておりましたが、国立になりましてから、労勧基準法があって、義務教育を卒業しなければ入れないということになり、高卒とか、大学を出たとか、中退とかで、初舞台といっても青年ばかりです。芸事は小さい頃から身につけることも大切ですし、初無台に子供が出てほしいと喧しく言っておりました。今年から学校でも音楽の時問に邦楽の教育も採り入れるということですし、本人も三味線弾きになりたいというので、通っております教育大学付属平野中学校の先生方にも協力していただき、国立文楽劇場にもお願いして、初舞台を踏ませてもらうことになりました。

 国立文楽劇場・文楽協会としても初めてのケースになりますが、これが切欠になり、他の子供さんたちもお稽古を積んで、初舞台を踏んでもらえるようになれぱと願っております。







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