七夕に毎日新聞を見学しよう会
講師:毎日新聞社 論説委員 平野 幸夫 氏(塾生)
日時:2001年7月7日(土) 11:00〜15:00
見学コース案内:毎日新聞社 総合事業局 佐藤正男


やっぽりええもんは
   皆さんよう知ったります!


 熟塾の記事は、価値ある活動と記者の方達の英才が先決でありましたなあ。記事になるまでにボヅになっている現場が識りました。熟塾の福祉活動も、毎日新聞社と連携しています。封筒の中味から、「やさしさを届けます。毎日新聞」というパンフレットを開けると、介助犬、木村さんの姿を発見。
 七夕のお星様もキラキラ輝いて応援しているよう…。福祉活動は、熟塾のダイヤモンド心と金剛石を支える栄養源になっているものと信じております。なんせ豊かさの精神の培養はそこに寄っている方達の仁愛であり、また新たに活力、活気の輸であると確信させていただきました。毎日新聞社の「点字毎日」も全国唯一、世界的にも稀有な新聞であればこそ、貴重なり。熟塾も小粒なれど背筋の通った志を持って活動する塾ゆえこれもまた貴重なり。
 熟塾が、この秋に、この大阪で全国生涯学習ネットワークでの一歩を踏み出すとのこと、…『やっぱり、ええもんは皆さんよう知ったはります。』手網を締めて天晴々と、学習の秋、食欲の秋、人肥ゆる秋に向けて、ひとふんばりですが、その前に夏休みの休養も大切やと思いまっせ。お大事に。
今回も楽しい企画に感銘。「皆々方様、毎度、毎度、おおきに。」と御礼申し上げます、(原季美子)



80年前から紡がれていた
   弱者への共感『点字毎日』

 「何故、毎日新聞見学なのか?」。塾生に「毎日新聞の論説委員の平野さんが入塾したから」「何故、7月7日、七夕なのか?」「平野さんの都合に合わせて」で、七夕に毎日新聞社を見学しよう会というととになった。熟塾では、毎日新聞では「介助犬シンシア」の連載記事及ぴ本、「関西NOW」での熟塾の紹介記事。個人的には、「丸紅ボランティアサークル代表」という3面記事を大きく飾ったりと縁が深い。平野さんが関西大学の岩田教授の紹介で入塾いただいたので、早速、熟塾サロンの講師をお願いした。折角だから毎日新聞社も見学し、昼食を食べながら話を聞こうという企画が整った。
 今回の見学で、とても感動したのが、週刊「点宇毎日」の存在だった。この新聞が80年前から発行され、目の不自由な編集長を起用し、必要な人に、必要な形で、必要な情報を送るという「新聞社の原点」とも言える事業を継続されてきたということに感銘を受けた。
 戦中、戦後も物資不足の中で紙を手配し、阪神大震災でも、目の不自由な方々に点字という文字でその全貌を伝え、更に生活に必要な情報を満載した。健常者用の毎日新聞を点訳するのではなく、盲人に分り易く、必要な情報を取材し、現在も最新鋭のドイツの機械を使って、大阪本社のビル内で印刷しているという。
「点字新聞」は経営的には印刷すればするほど赤宇だが、利益ではなく大切な事業として継続されている。
 昨今は、企業は利潤追求のみで、リストラだといって必要な事業も切り捨て、まだまだ使える人材の首切り続出、指令部の幹部と謂える経営者の生き残り優先で、最前線でバタバタ倒れていくのは一般の兵隊ぱかり。国家とて、政治家と官僚の生き残りを優先し、一般国民は税金を搾り取られるぱかり。弱肉強食、経済優先の時代にあって、頑なに点字新聞を継続する姿とその存在感のある点字新聞に敬礼!「ガンバレ、毎日新聞」と、応援したくなるほどだ。何故、毎日新聞がもっと声高に自己PRしないのかと思うほど、参加者のほとんどが世界に一つしかないという点字新聞の存在を知らなかった。これでかなり毎日新聞の印象が変わると共に、福祉や弱者に対しての同感を込めた取材も「点字新聞」を刊行しつづける社風と紙面が生み出されているのだと実感した。
塾生・平野幸夫さん、
    新聞記者について語る


 昼食は、毎日薪聞社地下にある「陶陶」でワイワイと肩寄せ合い、先ずはビールで乾杯。
 参加者の自己紹介や、新聞社見学の感想などを述ぺ合った。口々に出たのがやはり「点宇新聞」の存在を知らなかったという声に、このような機会がなければ毎日見ている新聞の舞台裏まで侵入できなかった等、社内見学は原則土日は実施していないが、平野さんの尽力で土曜日に開催できた。 当日は11時〜13時まで、総合事業局管理室の佐藤正男さんの案内でビデオを見たり、館内を歩いて新聞社のオフィスの空気を吸い、更に地下6階、地下23bの印刷工場で、無人工場かと見まがうほどの自動化の現状状を目のあたりにした。輪転機で1時間に15万部が刷り上り、新聞の群れは大蛇のように機械の間をベルトコンベヤーに乗って移動し、自然乾燥させ、見る間に販売所や駅名部数を明記したラベルを貼られた梱包姿になって、発送窓口へ流れていく。ちょうど、12時頃から印刷が始まり、約1時聞で夕刊の発送準備完了。いつもは社内見学後、印刷できたてのほやほやの夕刊を見学記念に持ち帰ることができるのだが、当日は社内の壁に「夕刊持ち出し禁止」の紙がいたるところに貼り付けられていた。何でもスクープ記事が掲載されるためで、夕刊が店頭に並ぶまでは門外不出となるという。

 中筆料理の昼食をワイワイと食ぺ終えて、コーヒーを飲みながら平野さんの話に耳を傾けた。新聞記者という職業は、特に事件などで他社に先駆けて特ダネを取材しなくてはならず、若い時には事件を追う刑事に張り付いて真冬の寒風吹きすさぶ中で張り込んでいて肺炎になって入院したりとまさに体力勝負の世界。時に記者は、事件に群がるハエを見るような嫌な目で見られたりするが、真実の行方を追いたい一心での取材活動が続く。努カを怠ると、他社が一面を飾っていた事件が自社の新聞に載っていない“特落ち"の悲劇に見舞われ、大ショックで会社に行きたくなくって重たい足を引きずっていったときもある。

 楽しかったのは、グルメ欄を担当していた頃、東に美味いものがあれば東に走り、西に名物あれぱ西のテーブルに着き、海外に飛んでのグルメ取材で食文化の奥の深さを実感。また、記者をやっていて一番うれしかったのは、四国に居た頃、徳島大学が新しい斜視治療について学会で発表。悪い右目を直すのに、意外にも左の神経を手術すると改善がみられるなどを記事にまとめて掲載されると、新聞社に間合せが殺到。二百人以上の人々が手術を受け、新しい人生を切り開くきっかけになったなど、ただ事件を追うだけではない、朗報を伝える筆を持っていることに記者としての誇りと責任を感じると飾らないことぱで淡カと話をされた。また大阪については、大阪の長所、魅力を掘り起こしたいといわれ、6月にも熟塾の文楽鑑賞教室に出席し、久しぶりに大阪の魅力に触れ7月講演は、文楽では7年ぷりの花道を使っての弁慶、勧進帳が演じられるなどを取材しさっそく記事にまとめたとの事。


 七夕に出席者それぞれの思いを短冊にしたためた笹と共に、毎日新聞社前で記念写真をとって解散。


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