春日大社正式参拝・中旬の献と雅楽に出会う忘年会

講師社団法人南都楽所 楽頭 笠置侃一氏
日時:2000年12月3日(日) 正午〜午後5時

(2/2 ページ)

歌曲

外来音楽に起源をもつ管絃や舞楽と違い、歌曲と呼ばれる「催馬楽(さいばら)」・「朗詠(ろうえい)」は平安時代に日本で作られた流行歌。「催馬楽」は和歌に曲を付けたもの、「朗詠」は漢詩に曲を付けたもの。

催馬楽
 催馬楽は各地の民謡や和歌を雅楽風に編曲したもので、平安時代中期に流行しました。句頭(くとう)と呼ばれる第一歌手の独唱から始まり、笏拍子(しゃくびょうし)を打ちながら拍子をとり、付所(つけどころ)と呼ばれる部分から他の歌手が斉唱する。斉唱と同時に笙・篳篥・龍笛・琵琶・箏が入るが、笙は管絃のときのように和音を奏するのではなく、1音または2音で旋律を奏す(一本吹き)。

朗詠
朗詠は郢曲(えいきょく)とも呼ばれ、漢詩に曲を付けて雅楽風に編曲したもの。催馬楽が馬子歌など地方の民謡から起こったのに対し、朗詠は教養のある上流貴族から始まったと言われている。朗詠は漢詩を3つの部分に分け、それぞれの句の初めを独唱し、付所から全員で斉唱する。楽器編成は笙・篳篥・龍笛の3管だけだが、笙は催馬楽と同じく一本吹きで演奏。
国風歌舞(くにぶりのうたまい)
他の雅楽曲と違い、外来音楽の影響をうける以前から日本にあった古来の歌舞(うたまい)。「古事記」や「日本書紀」などの神話に基づくものが多く、神道や皇室に深く関わる歌や舞で構成されているのが特徴。雅楽の中でも目にすることが少なく、なかには天皇の即位式でしか演奏されないといった特殊なものまである。


春日若宮おん祭 
 おん祭りとは国指定・重要無形民俗文化財であり、今から865年も前に関白藤原忠通が五穀豊穣と国民の安寧を祈願して始めた由緒ある祭りです。おん祭の魅力は遷幸、還幸の儀(せんこう、かんこうのぎ)とお旅所において奉納される芸能の全て、そして風流(ふりゅう)の3つ。風流とは祭礼に加わる人々がさまざまに仮装して若宮神の元へ行列する。
 おん祭は年に一度、神様に食べ物と芸能を捧げて楽しんでいただき、そのかわりにエネルギーをいただき、祭の意味は神様と人間がいっしょに遊ぶことにある。

○遷幸の儀
 12月17日午前0時に若宮の神を本殿よりお旅所へとお遷しする。どの祭りでも神様は必ず旅をなさるが、その旅の仕方が異なる。祇園祭は神輿で、氷室神社は鳳輦で、お伊勢さんは御絹垣(おきんかい)で囲まれて旅をなさる。春日のおん祭では榊の枝を手にした大勢の神職が神様を幾重にもとり囲むという大変古式の作法でお連れする。真夜中に炎と沈香であたりを清め、「おぉー、おぉー」という神官の声で邪気を払いながらお連れするので、この聖性と出会ってほしいと思う。若い人でも身震いがするという。

○風流(お渡り式)
第一番の日使(ひのつかい)に始まり、第十二番の大名行列まで平安時代から江戸時代至る風俗を満載した伝統行列。日使とは、関白藤原忠通がこの祭に向かう途中、にわかに病となり、お供の楽人にその日の使いをさせたことに始まるといわれている。



                  右上へ →
                           
○お旅所祭
 風流徒御行列の最後の大名行列がお旅所に到着する頃、左右の太鼓を打ち鳴らし、神様に神饌を捧げる。これはお米を青黄赤白に染め分けて飾る「御染御供(おそめごく)」という珍しいもの。
この後神楽が舞われ、田楽、細男、猿楽、舞楽など芸能の数々を奉納して神様に楽しんでいただく。

1.御巫神楽(みこかぐら):正装した巫女による舞。
2.東遊(あずまあそび):安閑天皇の御代、駿河国に天女が降り、舞い遊んだという故事による 大和に対して東国地方の舞。
3.和舞(やまとまい):奈良の地域の舞が春日大社に残ったもの。
4.田楽(でんがく):神に五穀豊穣を祈る楽であるとか、農民を慰労する為に演じた所作であるとか、起源について種々の説がある。
5.細男(せいのお):筑紫の浜である老人が「細男を舞えば磯良と申す者が海中より出て玉を献上す」と言ったので舞わしめたら、磯良が出てきたが顔に貝殻がついていたので恥ずかしくて覆面をしていたという物語による。
6.猿楽・神楽式:神楽式とは翁を略式にしたもの。翁は新年や神事の能の初めに必ず行われる天下泰平を祈願する儀式。
7.舞楽(ぶがく):舞楽とは舞を伴う曲のことであり、その伝来や特徴から左舞と右舞に分けられている。左舞(神様から見て左側)は唐やベトナムから伝わったもので、赤色系統で金や龍の装束で舞われます。右舞は古代朝鮮半島や渤海から伝わったもので緑や青を基調とした銀や鳳凰の装束で舞われます。左舞は唐楽、右舞は高麗楽とも呼ばれ、演奏は普通、左舞・右舞を一対として舞われる。

振鉾 三節(えんぶさんせつ):舞台を清める曲。金の鉾を持った赤袍の左方舞人についで銀先ずの鉾を持った緑袍の右方舞人が舞い、最後に二人が一緒に舞う。
左舞 萬歳楽(まんざいらく)…おめでたい曲。
右舞 延喜楽(えんぎらく)…萬歳楽と一対となり、同じくおめでたい曲。
左舞 賀殿(かてん)…大曲中の一部であり、袍の両肩を脱いで裾と前掛を着けて舞う特別なもの。
右舞 地久(ちきゅう)…賀殿と同じこの四曲は供養舞という仏教的なもの。仏教的な舞をするのはおん祭は元々興福寺が主催した事に由来する。
左舞 蘭陵王(らんりょうおう)…中国の蘭陵王は美青
年であったため戦場に赴く時はいつも恐ろしい面を付けて軍を指揮し、その武勇は轟いていた。その蘭陵王が戦の終った時、平和を寿いだ曲。
右舞 納曾利(なそり)…龍の舞い遊ぶ様を表した曲といわれている。
左舞 抜頭(ばとう)…猛獣を退治した孝子の物語をあらわしたもの。
右舞 落蹲(らくそん)…納曾利の二人舞をいいます。この四曲は勝負舞といいまして勝った方が先に舞う。蘭陵王と納曾利は競馬の勝負、抜頭と落蹲は相撲の勝負を競う。
左舞 散手(さんじゅ)…神功皇后の時に率川明神が先頭に立って軍を指揮したさまをあらわしたといわれている勇壮な武舞。
右舞 貴徳(きとく)…漢の宣帝の時、匈奴の日逐王が漢に降伏し貴徳侯になったという故事による。気品高く勇壮な舞い振り。この二曲は「中門遷りの舞」といって、興福寺の一乗院宮等偉い人が中門へ来られる時に演奏された曲。



雅楽は元来仏教と共に渡来し、宮廷の儀式の中で使われていたもの。それを平安時代に貴族が教養のひとつとするようになった。舞は貴族の子供達が行なった。元来は宗教音楽だが、それが宮廷で使われ、今尚宮廷音楽と伝承されている。元々の日本の芸能と外国から伝わった舞楽や管絃は神仏混淆の時に一緒になり、明治の廃仏毀釈の時に神道の音楽舞踊に雅楽を使うことに国が決めめた。
 葵祭の時には東遊が奉納され、神道の祭りには日本の舞が奉納されるが、おん祭は興福寺が始めたので、仏教と共に渡来した曲と日本の曲が奉納される。
『概略報告』のページに戻る